テキサス・ホールデム
テキサス・ホールデムとはフロップポーカーの一種で、現在カジノでは主流のポーカーです。
フロップとはテーブル上に開かれたコミュニティカードの事で、全プレイヤーが共通して使えるコミュニティカードとプレイヤーに伏せて配られる個有のカード(ホールカード)で役を作り対戦するポーカーです。
テキサス・ホールデムの歴史
1900年代初頭にテキサス州ロブスタウンにおいて最初のプレイが行なわれたとテキサス州立法府には記録されている。
伝説的プレイヤーのクランデル・アディントン、ドイル・ブランソン、アマリロ・スリムらによって1967年にラスベガスに入って来たとされ、その後テリー・ロジャースとリアム・フルッド(賭博の胴元)によってヨーロッパにも紹介された。
ネバタ州以外でテキサス・ホールデムが普及する様に成ったのは1980年以降ですが、カリフォルニア州では「スタットホース」と位置付けされ禁止されていたが、1988年にはテキサス・ホールデムとスタットホースは別のゲームとして開禁された。
それ以後ドローポーカーしか許可されてい反かったポーカ一店でテキサス・ホールデムを取り入れた。
当初ラスベガスではゴールデン・ナゲット・火事のだけが唯一テキサス・ホールで無の行なわれているカジノだった。
その頃のポーカールームは環境が悪く決して古金持の集まる様存場所には成らなかった為、1969年にポーカーのプロ達がラスベガス中心部にあったデューンズ・カジノの入っ直ぐの場所にプレイ出来る場所を誘致した為お金持が集まる様に成り、プロのプレイヤーにとってテキサス・ホールデムはとても割の良いゲームに成った。
1969年トム・ムーアによってポーカートーナメントが開催され何種類かのポーカーが行われた。
1970年この大会の後進としてベー・ビニオンが1949年に開催した伝説のイベントWSOP(ワールド・シリーズ・オブ・ポーカー)の名前を引き継ぐ形で開催、会場をビニオンズ・ホースシュー・カジノに変更、変更後の大会でジャーナリストのトム・サックリーが、このトーナメントのメインイベントはノーリミット・テキサス・ホールデムであるべきと指摘、ビニオンがこれに同意し、この大会のメインイベントはノーリミットで行われる様に成った。
このメインイベントの関心は増え続け、1972年には8業者しか参入していなかったが、1982年には100以上、1991年には200業者を超える程の大会に成った。
人気のキッカケ
2003年のポーカーの世界大会(WSOP)でクリス・マネーメーカーというライブトーナメント参加経験のなかったアマチェアプレイヤーが、オンラインサテライト(参加費$39)から参加して勝ち上り、参加費1万ドルのメインイベントの権利を勝ち取り、メインイベントでも優勝、優勝賞金250万ドルを手にしました。
まさにアメリカンドリーム!!
このライブの様子はアメリカ全土にテレビ放送されポーカ一人気に拍車が掛かり、当初839人だったメインイベントの参加者は翌年には2576人、2006年には8773人まで増え優勝賞金も1200万ドルにも成り、テキサス・ホールデムは世界中に普及、ポーカーと言えばテキサス・ポールデムとまで言われる様に成りました。
クリス・マネーメーカー
1975年11月21日生でテネシ一州のナッシュビル出身。
2003年WSOP優勝当時は会計士で、この時のオンラインサテライトがポーカースターズです。
下画はメインイベントの最終戦での模様ですが…
250万ドルを掛けての渾身のブラフ!!
凄い度胸としか言いようが有りません(☆。☆)